昨日の話は「原因論」、今日の話はアドラー的「目的論」

こんばんは!ぴーです。

今日も誰かが見ているかもわからないブログをわがままに更新しまっす!

 

というのも、今日風呂に入るときに本を持っていこーと思って本棚覗くと、最近ずっと二回目を読もう読もうと思ってた本が目に入ったんですが、それが「嫌われる勇気」だったんですよね。今でも続編が出たりして話題のアドラー心理学の本ですよね。

 

一ページ目から要点だけ摘もうとサクサク読んでたんですが、あの本って最初のトピックが「目的論」の話なんですね。本を読んでない/忘れてる人の為に説明すると、「目的論」てのは「人は現在の状態を目的があって作っている」というものです。

 

これは世間に蔓延してる「原因論」と違う考え方です。例えば、引きこもりの人を分析する場合、原因論では現在の引きこもりという状態を過去の経験の結果と分析します。例えば親に虐待された過去があるから現在引きこもっている、という風ですね。

 

これに対して、アドラー心理学が唱える目的論では、その人はとある目的のために引きこもりという状態を作った、と分析します。例えば、家の中での特殊な状態を作ることにより親に注目してもらう。世間に出てしまうと大勢の中の一人として得られない注目を親から得るためといった具合です。目的論の考え方は、人は目的のために状態を作り出すということですね。

 

自分は何かを分析するときに一つの方向だけから見るのはくだらないなーと思うんです。例えば、人の性格がどう決まるのかについて、世間では「遺伝的に決まっている派」と「育つ環境で決まる派」がいて議論を繰り広げてますが、これって遺伝も環境も両方が性格に影響しているはずじゃないかと。

 

二つの派閥があってどちらが正しいか議論してる時って、だいたい両方の意見に正しい部分と間違ってる部分がありますよねって思うんですよね。なのでどちらか一方に属して偏った見方をするのはよくないなと、

 

ただ、何の因果か人ってこの「偏った見方」ってのをしちゃうんですよね。ということで自分の反省です笑。

 

昨日の記事では、自分の体質や性格の原因を「親」として書いてました。これは原因論的な考え方ですね。親が原因で、自分の性格や体質が結果という具合です。

 

これを目的論的な考え方で見てみるとどうなるか今日は考えてみようと思います。

すると、自分には何らかの目的があって、今の悪い体質や性格を作ったということになります。

 

悪い体質や性格を作る目的?これって何でしょう?

考えられるのは注目を浴びるためでしょうか。自分は子供の頃病弱で、よく親に連れられて病院に通っていました。その頃の病気になれば誰かが心配してくれて特別扱いしてくれるという経験が今も心のどこかに残っていて、病気になって注目を集めようとしているのでしょうか。

 

何となくわかるものの、今大人になってもその性格や体質が改善しないのはおかしい気がします。もしくは、子供の頃にできてしまった性格や体質は、今必要としていないけど残っている状態ということでしょうか。そう考えれば、ある程度アレルギー体質等が年齢とともに改善してきたことと辻褄が合います。

 

この原因論と目的論、どちらも今の状況を説明する上で使うことができ、自分は状況分析をする際、どちらか一つではなくどちらも使おうと思っています。ただ、原因論が今の状況の原因を過去から発見し説明するだけなのに対し、目的論では現在の状況が今の目的を原因としているため、問題の解決という方向に動きやすいのではないでしょうか。

 

例えば、悪い体質に関して考えてみると、原因論では過去の食生活や遺伝に原因を見出すことで、その状態になった理由は説明できますが、それでは自分の問題の解決について進めません。せいぜい今からはそのような食生活はしないようにしよう、ぐらいでしょうか。

 

しかし目的論では、今自分の体質を作っている目的は何だ?と考え、その目的が本当に自分の目指しているものなのか、それとも無意識に望んでしまっているけど本当は避けたいものなのか考えることによって、解決のアプローチへと向かいやすいものになっています。

 

これからも自分に関して様々な不満が出てくると思いますが、今まで考えてこなかった目的論というアプローチを取り入れて、より良い人生にしていこうと思っています。