「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」を読んで「子供に対する親の影響」について考えた

先日、ずっと気になってたものの、タイトルの「レズ風俗」が自分の興味の範囲外だったので距離を置いてたマンガを読んでみました。

 

マンガ喫茶にあってふと手に取ったのですが、読み始めるとどんどん面白くなって気がつくと読み終わってて、また最初からパラパラとめくって印象に残った場面について考えていました。

 

このマンガ、タイトルが釣り用なのか「レズ風俗」の内容は物語の結末であるものの、最後の10%ぐらいしか登場しません。なので「レズ風俗」のがっつりレポではなく、むしろタイトル前半の「さびしすぎて」のとこがメインです。

 

なぜ著者が寂しかったのか、どう生きてきてそう感じてしまったのか、周りの環境がどうだったのか。そういった話がほとんどで、自分としては「親が押し付けて歪んでしまった子の考え方や価値観を、その子が自分と戦いながら少しずつ自分自身のものに上書きする」ストーリーだと思います。

 

親が押し付けた価値観が自分本来のものと違っていて苦しむというのは辛いですよね。自分の親が過保護だったせいか、私自身も親の存在は大きくて、著者のように「親を喜ばす自分」を「自分を喜ばす自分」よりも優先していたことがありますし、将来を選択するときに親が喜ぶ選択をしてしまうということもありました。

 

年をとるにつれ、親の影響の大きさを感じます。自分はアレルギー体質なのですが、アレルギーについて調べてみると、胃腸のコンディションの影響が大きいようです。胃カメラを開発して今まで何千人の胃腸を見てきた人の本に「牛乳をたくさん飲む人は、アレルギー体質の確率が高い」と書いてありました。牛乳は本来日本人の消化器官に合っていないものだから胃腸の状態が悪くなるそうです。

 

親曰く、自分は昔ドクターストップがかかるぐらい牛乳を飲んでいたらしいです。今、牛乳が胃腸に悪い、という知識を持っていて思うのは、なぜそんな飲むまで止めなかったのだろうということです。これは親の責任だけにしてしまう話ではなく、もちろん牛乳が大好きだった(?)自分にも責任のある話ですが、小さい頃の行動なんてかなりの部分を親が決めているのではないでしょうか?その頃に牛乳をたくさん飲み胃腸のコンディションを壊してしまったせいで、今でもアレルギー体質に苦しんでいます。

 

自分の場合は、著者のように親に歪められた価値観は少ないのですが、体質という面では直したい面がたくさんあります。アレルギー体質やメンタルが弱い点、自律神経が不安定な面、今大人になった自分が苦労して直そうとしているけど心が折れてしまいそうになるほど解決が難しい問題たちを幼少期、自分が知識や思考力を持って行動できなかった時期に作ってしまった親が歯がゆいのです。

 

ただ、この話の自分の結論は、親に不満をぶつけても仕方がない、ということではあります。というよりも不満をぶつけることは一時のストレス解消にはなるかもしれないけど、問題の根本的な解決にはならないと考えています。結局、自分のゲームは自分が渡されたカードでプレイするしかありません。人生は生まれながらにして不公平で、そこから頑張るのは他でもなく自分自身だからです。

 

あとは、自分が親になったときにどう子供と向き合うのがいいかはよく考えたいと思います。同じ屋根の下で生活する上で必ずしていく価値観や生活スタイルの共有は、ある段階までは子供自身の価値観や生活スタイルの土台になると思いますが、土台ができたあと、その子供は家族以外の人との関わりや独自の経験から自分のスタイルを築いていくはずです。また土台自体も変化させていくはずです。

 

そこを自由にさせる。もちろんある程度の見守りや指南は必要だと思いますが、その子供のスタイルを尊重して自由に自分を形成させる、ということが子供と関わる上で必要なんだと思います。